【2016年11月6日】京都国立博物館 特別展覧会【京都遠征 後編】
この記事は2016年11月6日、京都国立博物館(京都府京都市七条)で開催中の特別展覧会『没後150年 坂本龍馬』で公開されている刀 銘 吉行を観賞した際のレポートです。また、11月5・6両日の京都刀剣巡り(遠征)の後編という位置づけとなります。5日のレポート(前編)もあわせてご覧いただけると幸いです。
JR京都駅からほど近い七条に帝国京都博物館(現・京都国立博物館)が開館したのは明治30年(1897年)。当時の煉瓦造りの建物は老朽化が進んで現在立ち入り禁止、平成26年(2014年)に開館した平成知新館が展示会場として運用されています。
上記の通り坂本龍馬は今から150年前の慶応3年11月15日(新暦 1867年12月10日)、京の近江屋で刺客に襲撃され亡くなりました。京都国立博物館では今回、龍馬直筆の手紙約70点のほか、近江屋にあった血染めの掛け軸・屏風、龍馬佩用の刀三口をはじめとする遺品の数々を展示するとのこと。
実は、11月3日~6日にかけて「刀剣乱舞DAY」と称して様々なコラボイベントが企画されており、陸奥守吉行の等身大パネルと描きおろしイラストの公開、トークショー(3日)、各日先着500名に特製クリアファイルのプレゼントがありました。クリアファイルに関しては連日のレポートを見て断念いたしました、ハイ。
という訳で本日6日、はやおきして京博じゃない場所を目指して出発。
京都伏見は藤森(ふじのもり)、藤森神社へ参りました。こちらは菖蒲の節句発祥の地とされ、しょうぶにかけて尚武・勝負から馬と武運の神様として信仰を集めてきたそうです。
藤森神社 (公式サイト。画面下の馬にじわじわくる)
こちらには一時期、鶴丸国永があったとされています。鶴丸の来歴を簡単にまとめると、
五条国永により打たれる。国永は三条小鍛冶宗近の弟子と伝わるが詳細不明。
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余五将軍 平維茂(たいらのこれもち)が所持:五条国永の活動時期と一致しない(国永は天喜年間、1053~1058年に五条に住んでたとされている) 後年の創作か。
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弘安8年(1285年)、霜月騒動(弘安合戦、安達泰盛の乱、秋田城介の乱)で安達氏が滅ぼされる。鎌倉幕府第9代執権 北条貞時の手に渡った。「墓を暴いてまで」というのはこの時のものとされる。
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(北条家に渡って以降しばらく記録がない)
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織田信長の手に渡った。その後、信長は鶴丸を御牧勘兵衛景則(三枝勘兵衛とも)に与えている。
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関ヶ原の合戦後、景則の子信景が没落し、鶴丸を手放した。この時、御牧の領地の付近であった伏見藤森の某家が引き取ったとされる。この某家と藤森神社で、鶴丸をどう管理していたかは諸説ある。
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元禄16年(1703年)、木阿弥家に持ち込まれ、金二百枚の折紙付きで伊達家へ譲られた。その後は伊達家の所有として代々伝わる。
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明治34年(1901年)、明治天皇の仙台巡幸の際に献上。以降、御物。
といった具合ですな。藤森神社にあった期間は想像よりも近代だったんですね。
藤森神社ではかつて鶴丸がいた神社として、「京都刀剣御朱印めぐり」が開催されていました。昨日、時間やり繰りして粟田神社にお参りしてきたのはそういうことです。それでも、建勲神社(京都市の北、船岡山)はスケジュール的に難しかったので諦めています...また次回!
お参りした後、宝物館に刀剣が展示されていると伺ったので観賞してきました。京博に行く前に目を慣らしておかねば、と挑んだのですがなかなか難易度が高かった。
〇刀 銘 佑定
桃山時代の作。地肌は板目で映りが随所に見てとれる。刃紋は直刃調。
〇宝剣 三條小鍛冶宗近作(キャプションの文章ママ)
平安時代の太刀か。地金は古いように思える。板目肌に直刃調。こちらを含め、いずれも白鞘での展示だったので腰反りは確認できなかった。
〇刀 無銘
平造、第一印象は脇差だったが刀とのこと。板目肌、刃紋は互の目調に小丁子が交じる。
ライティングもさることながら、茎が見れるというのが重要なんだと実感しました。切られた銘で刀工がわかるだけでなく、茎の様子と刀全体の姿からおおまかな時代が把握できる。でも刀剣の保存を考えるなら白鞘(休め鞘)が一番であり...
ありのままの刀身を展示していただける機会のありがたさが身に沁みます。
藤森神社にお参り。地元の神社といった風情で素敵な空間でした。
— ナカアキ (@nkak0815) 2016年11月6日
宝物館の刀剣、刀装具、武具、馬にまつわる展示を鑑賞。三條小鍛冶宗近作の宝剣をはじめ、刀剣のライティング難易度高い…! 個人的には平造の刀(無銘)が好みです pic.twitter.com/nJOfJcWFiP
次いで三条へ向かい、昨日は公開時間に間に合わなかった瑞泉寺を再訪。秀次公所用の装束や刀剣、秀次事件の顛末が描かれた「瑞泉寺縁起」が公開されていました。
本日ビビった点として、午前にお参りした藤森神社宝物館で佑定の刀を鑑賞した後、瑞泉寺の寺宝として佑定の薙刀を観たことかなぁ。螺鈿細工の柄の先、刀身がすっかり錆で覆われた刀身を見るにつけ、直前までの記憶の佑定を思い起こしやはり痛ましく
— ナカアキ (@nkak0815) 2016年11月6日
瑞泉寺を後にし、七条へやってきました。ちょうど三十三間堂の向かいに京博がありますが、その前に隣接する豊国神社へお参りしました。昨年、大阪の豊国神社は参拝したのですが、こちらは初めて。
神号「豊国大明神」を下賜された太閤 豊臣秀吉を祀る神社です。豊臣家の滅亡と共に徳川家によって廃絶されましたが、明治に入り天皇の勅命で再興されたそうです。こちらには薙刀直シ刀 無銘 伝 粟田口吉光(骨喰藤四郎)が所蔵されています。
もちろん真田丸もあったよ! こちらも佳境であるな。
この日は結婚式をされた方々がいらして写真撮影をされていたので、邪魔にならないよう参拝だけして退散。
ツイッターでも度々拝見してましたが、社務所に飾られているイラストがホントに可愛らしいですね。ここだけでなく、ゆかりの神社の社務所や地域の売店にグッズがたくさん飾られてるのを見かけると「愛されてるなぁ」とうれしくなります。もうあれ一種の神棚だよねぇ?
いよいよ腹を括って京都国立博物館に入ります。お昼過ぎで混雑はまぁまぁといった具合。入口でチケットを購入後、手荷物検査を受けます。さすがと言っては微妙だけど、国内外の観光客多いですからね。
旧館の外観。こちらもいつか入ってみたいなぁ。
1階エントランスにどどんと龍馬さん。山﨑和國氏の作。
そして順路(エレベーター)に乗らずに1階ロッカーのある通路を辿った先に。
がっごよがっだでず...
変な話、クリアファイルもらわなくて良かったとか考えてしまった。無理だ... これ手元にいつもあるとか無理...
記念撮影もそこそこに、エレベーターで一気に3階へ上がり展示を観賞。最初は長崎・亀山焼をはじめとする焼き物や銅鏡の展示ですな、ふむふむーと観賞... この時ピンときていなかったわたくしは、後ほどガツンとやられる訳で。龍馬展の目録をよく読めば気づいたのになぁ。
2階から龍馬の生まれ育った時代背景、土佐脱藩の経緯、その時々に龍馬が書いた手紙の数々が、解説と共に展示されています。龍馬さんの手紙って文体が柔らかいのに力強いのが不思議なんですね。近しい人が相手だとさらに崩れて、素人にはなかなか読み取れないのだけど、何というか可愛いんですよ。
ただ、文を出した当時の情勢と照らし合わせた途端、妙な生々しさと緊迫感が追ってくる。このレポートの前編で紹介した動画にもある「数文字の裏にどんな営みが隠れているのか」を読み解く姿勢が、鑑賞者には求められているんだと実感します。
1階に降りると、順路の先に一段と長い行列が目に入りました。あーあの辺りにいるんだと覚悟を決めつつ、仏像の展示を観賞。前日に大覚寺で秘宝とされる仏像を拝んできたのですが、こちらでは京都各所の仏閣から表情豊かな仏像が多く集まっていました。ありがたいことですのう。
そして龍馬の遺品。実はこの展覧会開催前の5月、京博のプレスリリースにて「刀 銘 吉行の直刃調の刃紋の下に拳形丁子の刃紋の跡が確認された」と発表がありました。その他資料とも照合して、この吉行が龍馬最期の時に敵刃を受けた刀である蓋然性が高くなったとされています。その辺りも含めて観賞できればと意気込んでケース前まで来たのですが。
いやぁ、駄目でした。
刀剣として観賞したいと考えていたのに、ここまで一連の展示を見てきた頭では、龍馬さんの息遣い残る遺品として入ってきちゃった。よくここまで残ってくれたね、とだけ。
事前に見かけた「ライトの当たり具合でちょっと眩しい」というのも確かにありました。下のツイートでもライトを理由にしているけど、いま振り返れば、自身の感受性の強さが邪魔したんだな。きっとあの日としてはそれが正しい姿勢だったんだ。
もう一度、どこかで刀として見られる日が来ることを願うほかないや。
京都国立博物館 坂本龍馬展を鑑賞してきました(まだ帰路だけど)
— ナカアキ (@nkak0815) 2016年11月6日
一見可愛らしいが生々しい書状の数々、縁の品、そして我らが陸奥守吉行さん。最大の敵は光源でした…
龍馬佩刀以外の刀剣展示では渡辺篤佩用の國廣の刀が、厚く豪壮でカッコよかったです。さすがブレない國廣 pic.twitter.com/tmfYdnD3eW
眩しい。龍馬さんのお手紙も、吉行さんのライティングも何もかも眩しかった… pic.twitter.com/6SLPKEcIfo
— ナカアキ (@nkak0815) 2016年11月6日
龍馬さんの来歴や幕末の動静とか、正直さわりのレベルで復習して臨んだけど、祖国の将来を憂いて奔走したその時々の想いと、龍馬さん自身の感受性の高さとかぶっちゃけて言うと可愛いお人柄が、展示品から伝わるつたわる… 観に行って本当に良かった
— ナカアキ (@nkak0815) 2016年11月6日
しまらないけれど、これがおらの今回の所感です。
半ば茫洋としてまま家路につきます。帰路の飛行機は、旅行を企画した時点ですでに埋まっていたので新幹線を予約してありました。東京で乗り換えです、長いよ!
ご飯ー(´ω` ≡ ´ω`) pic.twitter.com/OAvG4LR0mU
— ナカアキ (@nkak0815) 2016年11月6日
22時過ぎ、真田丸のOAもすっかり終わった頃に帰宅。
1泊2日の京都嵐山・京博遠征から戻りましたー! 図録は肩が抜けそうな重量(厚さ)だったので泣く泣く諦めました…
— ナカアキ (@nkak0815) 2016年11月6日
後は年内に攻めたいのが何ヶ所か、行けるかなぁ pic.twitter.com/xe1E9I3Gun
刀剣、神社、仏像と思い返せば濃い2日間でした。また行くからな、覚えとけよ京都!
※オマケ
ここからは『刀剣乱舞―花丸―』第6話(水無月)のネタバレを含みます。刀剣そのものに関する内容ではありませんので、ご興味のない方、当該アニメのネタバレをご覧になりたくない方はブラウザバックをどうぞ。ここまでご拝読いただき、ありがとうございました。
この後、24時30分からBS11にて花丸6話を視聴したのですが。
今日まさに龍馬展で吉行さんと会ってきて、帰宅してこの仕打ち? すき!!しぬ!!!
— ナカアキ (@nkak0815) 2016年11月6日
御手杵さんだけで燃え(萌え)転がるつもりで覚悟して臨んだのに、大変なことになりました。
龍馬さんのお手紙読んできた直後であのむつやす(敢えて)を見て感慨深かった。おらにとって、あのBパートが龍馬展の締めくくりでした…泣ける…
— ナカアキ (@nkak0815) 2016年11月7日
頼れる隊長だけど皐月の件から少し肩の力が抜けた清光と、仲間の言葉達を拾い上げ積み重ねて成長していく安定。ラスト、それぞれの表情がじんわりくる暖かい回でした(Bパートのみの所感となります)
— ナカアキ (@nkak0815) 2016年11月7日
なおAパート(
1話の「沖田君もそうしてた」から始まり、元主の好き嫌いとか守りたい… から、かの人のようになりたいという決意。
— ナカアキ (@nkak0815) 2016年11月7日
そして今回の6話。あのやり取りを、同じく元主の影響が色濃く顕現した陸奥守と交わしたというのが白眉なんじゃないだろうか
こんな調子で、「6話DAISUKI」ばかり呟くようになってしまったとさ! ふー!!