審神者日和

とうらぶから刀剣鑑賞にハマった審神者ナカアキのブログ

【2016年10月22日】鶴岡市探訪(前編)【刀剣レポないです】

 この記事は2016年10月22日、致道博物館(山形県鶴岡市)で開催中の『SAMURAIの美 出羽庄内藩酒井家ゆかりの名品』で公開されている短刀 銘 吉光(名物 信濃藤四郎)を観賞した際のレポート(前編)です。

 

 鶴岡市山形県の西部、日本海に面しております。かの山形県おもてなし課長「きてけろくん」の顔で言うところの、ちょうど鼻の辺りになりますね。

 

 

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  庄内(荘内)藩の成立は元和8年(1622年)。当時、出羽国(現在の秋田~山形に相当)の南部を領有した最上氏が改易された折に、信濃松代藩より酒井忠勝が3万8000石加増されて入部し、庄内藩を立藩したことによります。初代藩主の忠勝公は、徳川四天王の一人酒井忠次の孫にあたります。

  庄内藩は成立直後から百姓の反発、お家乗っ取り騒動、その後は藩財政の赤字、飢饉、川越藩主の画策による三方領地替えの危機(藤沢周平の小説『義民が駆ける』の題材)に晒されながらも、一貫して酒井家の統治が続いた珍しい藩です。藩主、家臣と領民たちの結束が固く、お殿様が慕われていた様子が資料によく残っています。

 

  致道博物館は、昭和25年(1950年)に酒井家より土地建物、文化財等を寄付を受けて財団法人以文会が設立されたのが始まり。元は庄内藩鶴ヶ岡城三の丸跡地、かつては藩主の御用屋敷があった場所で、現在は御隠殿(藩主の隠居所)の一部と酒井氏庭園のほか、旧西田川郡役所、旧鶴岡警察署庁舎、旧渋谷家住宅が移築され、収蔵庫・民具の蔵が敷地内に配置されています(広い...!) 名前は文化2年(1805年)、七代藩主忠徳によって創立された藩校「致道館」に由来し、同藩校で使用されていた文物や用具に加え庄内地方の民族資料が収蔵・展示されています。

 

  信濃藤四郎が酒井家に伝来したのは忠勝の代とされています。元は二代将軍秀忠付の小姓だった永井信濃守尚政の所持でしたが、尚政により将軍家へ献上されています。次の家光公の時代に前田家へ贈られた後は諸説あり、酒井家へ伝来しました。

  その後は酒井家所蔵でしたが、昭和61年(1986年)に複数の刀剣とともに盗難の被害に遭ってしまいます。藤四郎は平成元年(1989年)に致道博物館へ戻ってきましたが、ともに酒井家所有だった備州長船住元重(見返り元重)についてはブレストシーブ社所蔵となっているようです。

 

(昨年9月の記事。物議を醸した記憶が新しい)

www.kyodoshi.com

 

 

 

  今年は酒井忠次公の没後420年として、酒井藩のみならず忠次公ゆかりの品々も数多く公開されています。 ちょう真田丸イヤーでもあり、受け手側のこちらもうれしい展示ばかりですね。公開初日の1日は開会イベントでごった返しの様子でしたので、なんとかじっくりにっかり観賞できるタイミングを見計らっておりました。

 

  仙台から鶴岡には高速バスで向かいました。仙台―鶴岡・酒田・本荘間の高速バスに乗り、3時間揺られて鶴岡エスモールで降車。これで片道3000円、往復で5500円なのだからありがたい...!

 

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   到着後、はじめに前の主様方にご挨拶。

 

 

  荘内神社は鶴ヶ岡城の本丸址に、明治10年(1877年)旧藩主を追慕して創建されたそうです。本殿には祭神として、酒井忠次公、家次公、初代藩主の忠勝公、七代 忠徳公が祀られています。仙台で言うところの青葉神社城址内の創建という辺りは上杉神社と同じようなもんですな。

 

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   白鳥を見ると、いよいよ冬の訪れを感じるねぇ。

 

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   言ってる傍から桜が咲いてるじゃないの。

 

 

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  こちらには信濃藤四郎のパネルのほか、絵馬、ご朱印のコラボレーションがございました。いやぁ漢でしたなぁ。審神者は、撮影用の模造刀を見るや否や目貫確認してましたがね。

 

 

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   宝物殿そばの野草園周り。菊もいい季節ですね、好きな花の一つです。花も春菊もおいしいしね!

 

 

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   大寶館。擬洋風建築の素敵な建物で中も見たかったけど、今回も日帰りのつもりでいたので時間がおしています。致道博物館へ向かいました。ところが入口に迷う...。

 

 

 

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   着いたぁぁぁ>< いざ出陣!と意気込んで入りましたが、ご存知の方も多いでしょうこちらは刀剣展示会場ではありません。この建物、旧西田川群役所では庄内地方で出土した考古学資料、戊辰戦争~明治文明開化期の資料といった歴史展示室となっております。しかし、ちょうどいいタイミングで興味深いお話を伺うことができました。

 

  縄文~弥生時代の出土品として土器、土偶などがありますが、土器は破片として発見されたものはよく石膏などで補完された「復元予想」みたいな形で展示されますよね。一方、土偶は人型がわかるもの以外は破片が多く、でも土器のように石膏でつないだりしない。これは出土した周辺に「つなげる破片が見つからないことが多い」からだそうです。土器なら合う破片がいくつも出てくるのに。

  これは、土偶は他の日用品とは用途が異なるから。つまり、うにゃうにゃおまじないをした後にあえてバラバラにして、しかも互いに近くない場所に保管・埋葬したからという解説。病気平癒の祈りに用いた後、具合の悪い部位を千切って平癒の対象から隔離した。だから周辺から合致する破片はなかなか出土しない。

  平成4年(1992年)、山形県尾花沢市から出土したこちらの土偶(縄文の女神)は、大きさもさることながら近い範囲内で破片が出土した点、また通常グラマーな造形の土偶とは対角のようなスリムな体型である点から大変珍しいようです。

 

megami.town.funagata.yamagata.jp

 

 

 

  閑話休題。ちっとも刀剣の話にならないじゃない! 仕方ないんや楽しかったんや...

 

  御隠殿入口で描きおろしのパネルを見て、内部の立派な魚拓(鯛将)を観賞した後にいよいよ展覧会場へ... と、長くなったので一度ここで記事はおしまい。後編へ続く。

 

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