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審神者日和

とうらぶから刀剣鑑賞にハマった審神者ナカアキのブログ

【2016年4月17日】前橋東照宮 徳川家康公薨去四百年東照宮祭禮:御手杵の槍奉納

刀剣観賞レポート 旅行記

 この記事は2016年4月17日、前橋東照宮群馬県前橋市)で開催された「御手杵の槍」奉納祭禮に参加した際のレポートとなります。 

 今回奉納される槍は、松平大和守家第17代 松平直泰氏が依頼したもので、昭和5年に撮影された写真を頼りに、刃の溝の深さや幅などを推測して復元したそうです。また、刀身は鍛造や鋳造でなく切削加工したとニュース記事で読んだ覚えがあるのですが、すでに古い記事のため見つかりませんでした。

 

 

 

 前橋東照宮は、結城秀康の5男 直基が越前勝山城内に建立したのが始まりとされ、以降13回にわたる移封の度に遷してきたとのこと。 

www.toshogu.net

 

 結城秀康を祖とする一門、越前松平家に関してはこちらの記事でも軽く触れております。この中で

〇慶長12年(1607年)、秀康は伏見城番に命じられるが、病を得て3月1日に越前へ帰国、閏4月8日死去。後を嫡男の忠直が継いだ。

   ↓(その後、なんやかんや)

 

と記した「なんやかんや」の期間は、忠直の配流、次いでお家騒動により忠直流松平家が途絶えたという出来事が起きています。その後、支流の直基流松平家より養子として宣富(直基の孫、長矩と改める)が迎えられ、宣富に対して美作国津山に10万石が与えられ津山藩を立藩しました。以後、津山松平藩は将軍家から養子を迎えるなどしつつ、なんやかんやしながらも幕末まで続きました。

 一方、寛延2年(1749年)、松平朝矩(直基の玄孫)が姫路藩から前橋藩に国替えとなったが、水害により前橋城を廃棄し、明和4年(1767年)川越城へ移転しました(川越藩)。東照宮も移転し、現在の社殿はこの時期に川越で造営されたものであるとのこと。

 越前にせよ前橋にせよ、御家門の一つでありながらここまで移封を繰り返すとは。家祖の秀康公の翻弄されようを思い起こします。

 

 

saniwanakaaki.hatenablog.jp

 

 当日はもう一つ大きな行事として、徳川四天王の一人 榊原式部大輔康政の所持であった「刀 磨上 無銘(名物 式部正宗)」復元の玉鋼修祓式も行われました。この後、刀は前橋在住の刀工 高橋恒厳氏と、師匠の上林恒平氏が鍛刀されるようです。 式部正宗については、以前DMMへ何やら打診したとかしないとか騒ぎがありましたが... まぁ、うん。

 ほかに柳生新陰流による演武・居合抜の実演奉納、刀剣鍛錬実演(式部正宗ではないです)が行われました。以下に、当日の日記じみたレポートを貼っておきます。

 

togetter.com

 

 

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前橋東照宮のご由緒。

 

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前橋の御手杵の槍、前杵さん。

 

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他の二振りに比べると、スラリとした印象の穂先。

 

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敷地内にある葵会館1階に展示されていた刀三振り。キャプション控えておけばよかった。特に手前の脇差と拵...

 

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将成作と銘のある短刀。花切り用とか書いてあったような... 確認しにまたお参りしなきゃなぁ。

 

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同じく銘 将成作の刀。前橋に縁のある刀工さんの作だろうか。

 

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刀剣鍛錬の様子。この後、鍛錬体験するためのジャンケン大会が始まりました。