審神者日和

とうらぶから刀剣鑑賞にハマった審神者ナカアキのブログ

【2015年8月8日】 中鉢美術館イベント(旧ブログから転載)

* この記事は2015年8月に旧ブログ(Tumbler)に記載したものを転載しております。文中の刀剣に関する語句、説明等は当時のまま移しましたので、語法の誤りが散見されるかと思います。ご了承下さい。

 

序文

 これは中鉢美術館(宮城県大崎市)にて開催された、刀剣乱舞-ONLINE-に登場する刀を含めた企画展の参加レポートです。

 同企画展では、常設展示されている東北刀工の刀剣の他、刀剣乱舞-ONLINE-に登場する「陸奥守吉行」「加州清光」「和泉守兼定」「大和守安定」が展示されました。また8月8日は直前に急遽展示が決定した「短刀 小夜左文字」、同日より展示開始となった「脇差 長曽祢興里」「刀 源清麿」が共に展示され話題となりました。

 以降本文では、当日の朝大慌てで家を飛び出して何とか観賞にこぎつけた在仙審神者のメモ、少しの解説と考察を記していきます。長文となりますが、お付き合いいただければ幸いです。

 

 

 

 

本文

1. 東北の刀工集団

 古川駅で偶然合流した審神者同志(陸奥クラスタ)と共に来場し、すぐにお目当てのむっちゃんに食いついた二人でしたが。どうも用意された順路と逆走していたようで、施設のボランティアの方に解説していただきながら、東北地方の古い刀を観賞していきました。

 「古い刀」とはおよそ平安時代鎌倉時代のものを指すようです。律令政権下、坂上田村麻呂による東北進出の過程で、奥州の人々はその支配下に置かれました。当時、都の刀はいわゆる「つるぎ」であり、造形が美しい反面切れ味が悪く、叩いて戦うようなものでした。一方東北の曲がった刀は切れ味鋭く、坂上軍は大変苦戦したようです。戦の後、後述する俘囚(ふしゅう)鍛冶によって切れ味に優れた刀と都の豊富な資材が合わさった結果、現在に伝わる刀剣の源流となったとされています。

 都の支配下に置かれた東北の人々は俘囚(ふしゅう)と呼ばれ、税金として労役が課されました。俘囚の鍛冶は太刀を都へ献上することとなり、やがて舞草(もうくさ、岩手)、月山(がっさん、山形)、そして玉造(たまつくり、宮城)という代表的な鍛冶集団が成立しました。

 時は流れ、奥州平泉氏が滅亡し(※)、これら鍛冶集団が豊後や備前等、各地へ散っていったことで刀剣文化はさらに発展していったと言われています。

※平泉について(小夜左文字公開時、所有者様の解説より)

 上記の刀工集団の内、玉造は旧宮城県玉造郡(現在の大崎市の一部、岩出山各町および鳴子温泉、古川大崎、古川新田、古川南沢、古川清水にかけた地域)を拠点としました。この一帯では鉱石が産出され、また少し北上すると金脈もあり、これらの鉱脈ははるか平泉(現在の岩手県南西部)に至ったとされます。こうした豊かな資源もまた、かの『枕草子』に「たちは たまつくり」と賞賛される優れた刀工集団を作る源となったようです。

 玉造鍛冶の作品として「太刀 宝寿」が数振り展示されていました。無骨ながらかっこよくて強い刀でした。

 

 

2. 観賞のポイント

 館内が比較的空いている時間帯だったこともあり、前述のボランティアさんに言わば初心者講座をしていただきながら、じっくり観賞することができました。本当にありがとうございました…!

 次に、刀剣の見方、楽しみ方についてたくさん教わった中から、いくつかピックアップしていきます。

 

◯古い刀に見られる特徴(平安~鎌倉?)

・腰反り

 平安〜鎌倉の古い太刀に見られ、茎(なかご、柄で隠れる部分)から切っ先にかけて観賞した際、一度折れて切っ先まではスッと真っ直ぐに刀身が伸びている状態。三日月宗近の腰反りが特に分かりやすい。ボランティアさん曰く「おじいちゃんは腰が反っている」とのことです。こちらをよくご存知でらっしゃる… なお、時代が下るにつれ真っ直ぐだった切っ先側にも反りが見られるようになります。

 

・刃紋(刀身の白い部分)がハバキの手前まで

 古い刀の特徴か、もしくは東北の刀のみか(おそらく前者?)、刃紋がハバキの一寸手前までで止まっています。鎌倉時代までの刀に見られるようで、ハバキまで刃紋がある場合は磨り上げた可能性があるそうです。

 中鉢美術館所蔵の奥州刀「閉寂(ふさちか)」(平安時代)には磨り上げの痕跡がなく、当時を保ったウブ刀であるとのことでした。小鍛冶宗近やその子近村(※)に代表される都の刀(貴族の刀)はスラリと繊細な作りであるのに対し、閉寂はどっしりとした、かっこよくて強いry  

※近村作「太刀 近村上(ちかむら たてまつる)」も展示されていました。とにかくきれい。

 

◯古い刀、新しい刀の違い

 古い刀は地肌の模様が凝っているものが多い。杢目(木目)肌の他、特に月山肌(綾目肌。月山鍛冶の特色)は室町後期になるほど模様が細かくなります。にじみ出る俺の色感。

 なお、地肌の見方としては、しゃがむなどして光源の当たる箇所を斜めから見ると分かりやすいようです。光源も、見て欲しい箇所に当たるように設置してあるのだそうです。

 一方、新しい刀(江戸以降)は刃紋が華やかなものが多いのが特徴。本日は「太刀 長谷部国信」が展示されていましたが、ど派手な刃紋でした。ボランティアさん的には、初見はいいけど飽きるとのことです。ううむ。

 

◯その他、刀の見方について箇条書き

・貴族の佩刀は切っ先にかけて細身。帽子が小さい。おすまし。 

・武士の刀は太い。実践刀。切れればいい。

 

・刀は銘が表になるように佩く・差す(太刀は佩く、刀は差す)。一般に刃が下にくるのが太刀、上を向くのが刀(打刀)とされる。

 

・古い刀は太刀が多く、後に使う人の身長に合わせて磨り上げる。

 これは太刀は鞘をひもで下げており、両手で抜くが、刀は鞘を帯に差したままであり長すぎると抜けないため。 磨り上げの際、茎(なかご、柄で隠れる部分)に目釘穴(茎と柄を繋ぐ目釘を差す穴)を開け直す。 目釘穴が二つ以上の刀は磨り上げの可能性があるが、はじめから二つ以上開いている例もある。

 

 

3. 虎徹と清麿(蘇生清麿)

 個人的に本日の沼案件。お覚悟。

 冒頭で述べた通り、本日展示されたのは「脇差 長曽祢興里(ながそね おきさと)」と「刀 源清麿(みなもとのきよまろ)」です。この二振りの外見としては、長曽祢興里(虎徹)は刃紋ゆるやかで真ん中程に山が三つ(ボランティアさんは数珠状とおっしゃってました)、源清麿の方は虎徹より刃紋が華やかな印象でした。

 以降、この二者の関わりについて解説します。

 虎徹は贋作が非常に多いと言われることは皆さんご存知かと思います。江戸時代(特に後期)、大名等の上流階級が虎徹を所用したことから人気が高く、作風の似た刀剣の銘を消して虎徹の銘を切る行為が頻発したそうです。

 ところで当時、源清麿の刀は現在ほど評価が高くなく、他の刀剣と同様に虎徹の銘が切られてしまいました。近年になって、虎徹の贋作とされたが清麿の銘が確認された刀について、茎にやすりをかけて新たに金象嵌(※)によって正しい銘が加えられるようになりました。これを蘇生清麿と呼んでいます。

※金象嵌(きんぞうがん): 薄く彫った溝に金を埋める手法。蒔絵や螺鈿細工に似る。

 

 ナカアキ「贋作… 金… 正しい名前… (あっ、そういやおっちゃん金ぱt)」

 

 さぁ、(沼に)入ったり入られたりしよう。

 

 

4. 幕末組の刀たち

 前述したように真っ先に食いついた展示物でした。それが裏目に出たのか、一回りした後はすっかり印象が抜け…て… ご、ごめんなさい!!それでもむっちゃんはにっかり観賞しましたよ!

 「刀 陸奥守吉行」は京都国立博物館所蔵のものだったかは不明ですが、以前陸奥クラスタの考察まとめで拝読したように、刀身がまっすぐでした。江戸の刀にしては反りが小さすぎる(0.9cm)のと、刃紋が鎬(刀身の刃側と峰側の境目)にまでかかる幅広だったのが印象的でした。他の三振りに比べて少々無骨か。

 「刀 清光」は少し華やかな刃紋が特徴。見る角度の問題かは分かりませんでしたが、この刃紋、他の刀剣に比べてあまり白くない(くっきりしていない?)ように見えました。刃紋の入りの濃淡ってあるのでしょうか。

 「刀 大和守安定」は仙台安倫との合作刀でした。余目安倫(あまるめ やすとも)は江戸時代の人で、仙台藩のお抱え刀工の一人でした。当時、江戸で長曽祢興里に次ぐ名工として名高い大和守安定に師事したと伝わっています。ここ 最近では、同じ二人の合作による脇差が、登米懐古館の企画展(平成27年4~6月)にひっそり展示されていました。

 「刀 和泉守兼定」は11代目和泉守兼定(会津藩)の刀。来歴については先日のヒストリアですっかりお馴染みですね。今日来ていた兼さんもかっこよかったよ、兼さん!

 

 

5. 小夜左文字

 盲亀の浮木優曇華の花待ちたること如し。

 前もって配布された整理券を元に、50人程度を展示室に迎えて所有者様に解説いただきながら観賞しました。以降、その解説を交えたレポートとなります。

 

・刀身はまっすぐ、切っ先で少し反るか? また他の短刀より少し長く、現在の重要文化財等の短刀でも最長の部類。このため豊臣秀吉に献上された際、普段使いできる長さではなかったため、細川幽斎に下げ渡したとされる(秀吉は代わりに太閤左文字を使った)

 

・目釘穴は二つで、o◯がくっついている。磨り上げか元々の形状かは不明。 地肌は杢目(木目)で流れるような感じ。 切られた銘は「左」のみ。

 

 筑前隠岐の左衛門尉安吉(左文字)は南北朝時代の頃の刀工。 正宗十哲の一人でありながら、師の正宗よりよく切れる刀を打ったため、師に妬まれ追い出されたとも言われています。その後は鎌倉周辺の山中で刀を打ったとの説もあり。

 左文字の刀は初期よりも後期の方が美しいとされており、中でも小夜は最も美しいと言われています。「国宝でないのが不思議なくらい」 これは左文字の故郷である九州の刀は実践刀で刀身は汚い(地が荒い)が、細身で鏡面のような美しさを誇る都の刀を手入れをする内にそのような作風になったと考えられます(小夜は後期の作)。

 

 近年入手されたという、左文字の曾祖父の弟の刀を分析したところ、東北の刀工の特徴が見られたとのことです。美術館長との好もさることながら、刀の源流である東北の地で公開したいとの思いでこの度おいでになったそうです。本当にありがとうございます。

 蛇足として、本日の展示のために、大阪にある財団から18時間かけて運搬されたとのことでした。警備にシェパード2頭を連れていて、小さい方の名前は小夜左文字だとのことでした。強い(確信

 

 

6. おわりに(感想)

 1月下旬、スタートダッシュに少し遅れて刀剣乱舞-ONLINE-に参加して早半年。その間、機会あるごとに刀剣の展示会や見学に赴いたこと数回。刀剣の見方の解説本等にも目を通していましたが、内心分かったつもりでいた部分も多いように感じていました。

 個人的に今回の観賞会は、まさしく研修と呼ぶにふさわしい勉強量だったと思います。東北における刀剣造りの発祥から幕末に至る一連の流れを解説していただき、観賞のポイント(特に、地肌は見えやすい角度からじっくりねっとり見ること)を少しでもつかめた今、もう一度あそこに行きたい!あの刀剣をにっかり見てみたい!と意欲が湧いた1日でした。

 

 楽しかったー!!(そういや次、誰が展示されるっけなぁ…)

 

(転載分はここまで)

 

 こちらは当日の様子をまとめたものです。

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